協調性って言葉、あれ何なんだろうなと時々思う。
あれを口にするやつの裏の顔を、いっそ見せてもらいたいくらいだ。だって妙に都合よく使われすぎてんだよ。人間以外の群れだって協力しながら生きるけど、あいつらはもっとシンプルだ。生き延びるために役割が分かれ、弱いリーダーは自然と交代する。そこに「協調性を発揮してください」なんて札は立たない。合理でしか回らん世界だ。
なのに人間の群れは、目的も曖昧なまま“協調っぽい何か”だけを真似して動いてる。ネットの募集文を見ると特にひどい。「協調性のある方歓迎」「みんなで仲良く」みたいな文言が並んでると、ああ、これは従順に従う歩兵を集めてるんだな、とすぐに分かる。将軍の姿が見えないのに、歩兵だけ募ってどうするんだ。目標がない集団ほど、「協調性」という言葉が便利に消費される。
本当に協調性があるやつってのは、逆なんだよな。匂いを嗅ぎ分ける。肌で「ここ、場の落とし所がないな」って気づいて、そっと距離を置く。これが実は、いちばん迷惑をかけない協調なんじゃねーかと思う。そういうやつほど、いざ波長の合う相手と出会ったら馬の骨みたいにカチッとはまって、めちゃくちゃ良いやつだったりする。だけど表には出てこないから、「ぼっち=協調性なし」みたいに言われる。浅い観察って残酷だ。
で、極端な話をするとさ、
協調性という言葉を“奴隷”に置き換えても、意外と意味が通ってしまう瞬間があるのが怖いんだよ。
「逆らわずに合わせること」が協調だと本気で信じてるやつがいる。いやいや。それは調整じゃなくて服従だろ、と。人間の社会は、合理よりも“誰かの都合”が紛れやすいから、なおさらこの言葉が濁る。
だから思う。
協調性を吐くやつに、まずは聞いてみたい。
「で、お前はどこまで歩幅を合わせる覚悟があるんだ?」
そこが語られない協調は、ただの命令書でしかない。

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