その時はその時、でブログを始めた話


人はなぜ節目を作りたがるのか。年齢、月、年。どうせ何も変わらねぇのに、カレンダーに線を引いて「ここから俺」みたいな顔をする。俺もそうだ。50歳を前にして、特に意味もなくブログなんて始めてしまった。気まぐれ?反骨?たぶんどっちでもいい。

正直、ネットの“最適解”みたいな文章に飽きたんだよ。「答えだけ寄越せ」みたいな空気。専門家が手のひら返すたびに人が右往左往してさ、その間ずっと“お前の頭はどこへ置いてきた?”って感じる。だからあえて個を出す。求められてなくても、そこが人間の匂いになるはずだ。

そんなことを考えてたら、中坊がドナルドでニコニコしながらトレーを運んでるのを見た。あれは完全に“本能の笑顔”だった。俺も昔はあんな顔してたんだろうか。大人になるって、ああいう瞬間を理性で潰すってことなのかもしれない。場をわきまえて表情を閉じて、気づいたら何かがどっかに落ちてる。

でも本能って、聞こえようが聞こえまいが、耳を澄ませる努力だけはやめちゃいけねぇ気がしてる。人は自分の欲望すら分からない。理性の壁が厚すぎて、声が届かない。それでも探り続けるために、人は動くんだろう。書くこともそのひとつ。俺にとってブログは“何を書くか”じゃなくて、“本能の輪郭に触れる旅”みたいなもんだ。

三日で終わるかもしれん。でも、まあいいや。


その時はその時だろ。

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